タンマガーイ寺院
タンマガーイ寺院の歴史
総本山タンマガーイ寺院は瞑想を実践するのに相応しい寺院です。これは、プララーシャパーワナーヴィス住職(=ルァンポー・タンマチャヨー)とクンヤー イ・アージャーン・ジャンの堅い決意のもとに生まれました。仏陀が存命されていた時のように、心を爽やかに落ち着かせ、瞑想が出来るようにという堅い決意 です。
そして「良い寺院、良い僧侶、良い人の育成」という構想を打ち立てました。これまでの40年間、タンマガーイ寺院は人々の心に道徳を植え付け、今の時代、 かつ世界中の人々が必要としている良い人間を育ててきました。現代社会の問題は、道徳の欠けている人々が起こす事件が多くなっていることです。これを感じ たルァンポーは社会問題を解決するために、最適な方法としてタンマガーイ寺院に人々が集まり、良い事を行なう場所にしたいと考えたのです。
寺院を訪れる人々は、当初数百名だけだったのが、数年で数千人、数万人と増えていきました。
命をかけて寺院建設を行ったルァンポー・タンマチャヨーとルァ ンポーに賛同した仲間達がいなければ、このような成功を収めることは出来ませんでした。ルァンポーは、瞑想によって人々がタンマガーイに到達し、本当の意 味での心の幸せを感じて欲しいと願ったのです。この地球に暮らす人々がこの幸せを得ることで、争いのない世界、そう本当の平和がもたらされるでしょう。
寺院活動の詳細法の会話
仏教とは何か?
Rob : 仏教が世界宗教の一つであるということは知っていましたが、それは宗教というよりかは、生き方や生きる姿勢に関わるものだと聞いたことがあります。
Tim:その通りです。「宗教」という言葉は、唯一神や神々に対する信仰、そしてその信仰に関わる活動、つまり祈りを捧げることや、お寺や神社に行くことを指しています。しかし元々の、お釈迦様が説いた仏教は、特定の神や、創造主としての唯一神を信仰するようには教えていません。
Rob:仏教には神がいないのですか?
Tim: 実際のところ、多くの神や女神が話の中に出てきます。 ですが仏教では、それらを信仰するようにとは教えていないのです。
Rob: では、仏教徒は何を信仰しているのですか?
Tim:そうですね、正しい仏教徒はダンマ(法)と呼ばれる、ブッダの教えを信仰しています。
Rob:ブッダが仏教の創始者ということですか?
Tim:はい、そうです。
Rob:それは一体、どんな教えなんですか?
Tim:自己救済の道です。
Rob:「自己救済の道」ですか?
Tim:そうです。お釈迦様は、「己を拠り所とせよ」と仰ったのです。
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仏教の国タイ理解深めよう 長野の住民ら文化交流会
長野市柳町地区の住民でつくる柳町福祉保健部会は27日、タイにある寺院の所属で現在は東京や東御市の別院にいるタイ人僧侶3人を招き、柳町公民館で文化交流会を開いた。住民約40人が、タイの文化について話を聞いたりし、同国への理解を深めた。
住民同士の交流を目的に同部会が初めて開いた「お茶のみサロン」の一環。地区住民経営のタイ料理店が作ったカレーなどを並べ、参加者らはタイ語で「アロイ(おいしい)」などと言いながら味わった。
僧侶のティッサローさん(東京)が講演し、タイの文化や宗教を紹介した。「ほほ笑みの国」とも呼ばれるタイでは、10月に起こった洪水で被害を受けても国民は笑顔を忘れず、前向きに生きている―と強調。国民の9割以上が仏教を信仰しているとも説明した。
「タイと日本の交流の歴史は長く、経済や文化面での関係が緊密」とティッサローさん。東日本大震災と大洪水という両国を襲った自然災害支援のため、お互いが送り合った応援メッセージも映像で流し、「タイと日本は友人です」と話した。
部会長の宮崎秀紀さん(61)は「震災や洪水で大変なお互いの国が、今後さらに協力し合うことが大切だと思った」と話していた。
Top瞑想とは
私達は、現代社会を行き抜くために様々なストレスを心に蓄積していきます。これが、身体と心を蝕む原因となって行くのです。私達は、自分の身体の汚れを毎日シャワーを浴びることで洗い落とし清潔に保ちますが、心の汚れはどのようにして落とせば良いのでしょう。濁った状態の水が入っているコップがあるとします。この濁った汚い水を澄んだ水にするために、一番簡単な方法はただ放って置くことです。これと同様に、心の汚れもまた、ただ中心に留め静止させれば、自然と澄み切った綺麗な状態になります。このように瞑想とは、心の洗濯とも言えるものです。毎日、瞑想を励行し、この心の汚れを洗い流すことで本来の光り輝く心を取り戻し、心身共に健康となりましょう。
読みを続きChange The World In ネパール
生誕の地に仏教の繁栄を
ルァンポー・タンマチャヨーの意図とは、生誕の地に仏教を再興させることです。その地とはネパールであり、世界にとって最も重要な地なのです。今、ネパールの地で再び仏教が栄えようとしています。
お釈迦様生誕の地であるマーヤーテーウィー精舎で行なわれた出家志願者の剃髪式
この歴史的な瞬間は2011年11月12日に行なわれた1,112人の剃髪式から始まりました。今回の式典では数キロに及ぶ長蛇の列が出来ました。何千人という人々が集まり、ネパール僧団の大僧正を主賓に迎えて行なわれました。今回、出家した者たちはこれまでの出家志願者とは異なり、専門家による検査を通過し、選考に残った選りすぐりの者だけで構成されいます。2011年11月17日、お釈迦様生誕の地であるマーヤーテーウィー精舎にて1,112人の沙弥出家が始まりました。プラ・タンマキィティウォン長老を戒師とし、ネパールの僧団を代表するBhikkhuBodhigenMahathero長老もタイの高僧も慈愛を持って出家得度式に参列しました。式典は大きな喜びを伴って過ぎていきました。人々は喜びと感動に包まれました。
Top日本別院

タンマガーイ寺院が日本で活動を始めるきっかけとなったのは、1990年5月30日、タンマチャヨー住職の命を受け、タッタチーウォー副住職がターナヴットー比丘と共に、広島県にある国泰寺(当時:福原哲巌住職)というお寺に仏像を安置しに来日したことでした。翌年1991年、ターナヴットー比丘はタンマチャヨー住職の使命を受け、さらに深く原始仏教を学ぶために、東京大学大学院へ入学しました。ターナヴットー比丘は、留学に際し、世田谷区にある「祖師谷」という留学生寮を借り、日本での生活を始めました。また、この部屋を仏教の儀式を行う場所としても使用していました。時と共に仏教行事に参加する方が増え、小さな寮の部屋では人が入りきれなくなってしまいました。そこで、いつも瞑想にやってきていたタイ人が働くレストラン「ラーンタイ」でタイ人学生や結婚をして日本で暮らすタイ人、日本人に対して毎月1度瞑想会を行うようになりました。瞑想会は1991~1992年まで毎月、ターナヴットー比丘が一人で瞑想指導、説法とすべてを行っていました。1994年、タイ総本山から3名の僧侶が来日しました。そのため、赤羽根にある井出コーポというアパートを借り、儀式の会場とすると共に僧侶、優婆塞、優婆夷の宿舎としました。同年5月の第一日曜日に瞑想会が開始され、毎週日曜日には多くのタイ人が訪れるようになりました。タイ人、日本人と来院される方が増え、アパートではすべての人を収容することが難しくなり、他の場所を探さざるを得なくなりました。そして10月、井出コーポの近くにあった第2番目となる瞑想所「金子」という建物を借りることが出来ました。ここは100名を収容出来る場所でした。場所が大きくなったこともあり、訪れる人もあっという間に増えました。2年経ったときには、大きな儀式は約1千名の方が集まるようになり、赤羽会館を借りて行わなければならないほどになりました。仏教を求める人々がこのように増えたことを目の当たりにし、日本に寺院を開く必要があると誰もが思うようになりました。この声は日々大きくなりました。寺院に関わるすべての人が寺院の開設のために協力し合い、2000年3月、6階建て1400㎡あるビルを購入し、瞑想をする場所としてふさわしい形へと内装工事を行いました。そして、同年5月21日、在京タイ大使館のノンヌッチ インカワラ氏、荒川区長を招き、オープニングセレモニーを行いました。3番目のこの場所は「国際法身瞑想センター(英語:DHAMMAKAYA MEDITATION CENTER OF JAPAN/タイ語:スーンバティバッタム・トウキョウ」と名付けられました。その後、2002年11月22日に東京都より宗教法人の認可を頂き、日本で初となる、正式なタイの寺院が誕生しました。認可に伴い、寺院名を「宗教法人タイ国タンマガーイ寺院」と改名しました。2008年、総本山タンマチャヨー住職よって、タイの名称としてしていた「スーンバティバッタム・トウキョウ」から「ワットプラタンマガーイ・トウキョウ」とタイ語名も改名することとなりました。
2003年、衛星放送を使った仏教放送「DMCチャンネル」の放送が始まり、神奈川県内で数多くの衛生放送の取り付けが始まりました。DMCを通し、お釈迦様の教えを学び、人生の真の目的を知った人々が神奈川県にも、仏教の教えを学び、瞑想をし、功徳を積むための寺院がほしいとの声が方々(ほうぼう)から上がりました。
そして2004年7月24日、2名の僧侶と共綾瀬市寺尾中に最初のタンマガーイ寺院神奈川別院が開設されました。しかし、信者の皆さんが集まるには十分ではありませんでした。そこで綾瀬の公民館を借りて、8月1日、雨安居に入るための儀式を行いました。神奈川県で行う初めての式典でしたが、タイ人、ラオス人、日本人など70名を超える方々がお越しくださいました。それから仏教の重要な日や毎月第一日曜日にはこのように場所を借りるなどして、儀式を行いました。毎回、多くの方が式に参加され、喜びと共に功徳を積まれていました。活動を続ける中で、信者の皆さんの心の中に共通の思いがありました。それは、もっとたくさんの方々と功徳を積むために新たに寺院となる場所を探さなければならないということでした。この思いが現実となり、神奈川別院は綾瀬市綾西へと移ることになりました。新たな場所に移動したことで、交通の便も以前より良くなり、お寺に足を運ばれる方も増すこととなりました。そのため、大きな儀式では1-2階を使用してもお寺から人があふれる状態となり、再び、会場を借りなければいけなくなってしまいました。
そのため、寺院としてふさわしく、さらに広く信者の皆さんを収容できる建物を神奈川県内全域で探しました。そして、海老名市国分北に寺院としてふさわしいであろう建物を見つけることができました。3階建てのビルで駅から徒歩15分の所にありました。1階は食堂、そして信者の皆さんを出迎える場所、2階は僧侶、優婆塞の宿舎、3階はホールとなっていて、250名の信者の迎え入れることのできる場所でした。
神奈川県内外に住む信者の皆さんの力を合わせ、2008年1月、ここに新生、宗教法人タイ国タンマガーイ寺院神奈川別院が誕生しました。同年2月10日、神奈川別院の新たな旅立ちに際し、タイから日本別院総住職であるターナヴットー比丘が訪れ、『開創式』と名付けられた式典を執り行いました。この式には日本全国から100名を超える信者の皆さんが参加され、全員一丸となって神奈川別院の誕生、を喜び、瞑想をし、功徳を積み、さらなる寺院の繁栄を願いました。
1998年12月クレオ大阪北で行った在家者仮出家に東京本院から僧侶が招かれたことが大阪別院が誕生するきっかけとなりました。それ以降、東京より僧侶が訪れ瞑想を指導を行っていました。そして199年4月4日、タイ総本山で毎月1度行われる行われている仏供養大式典を大阪市クレオ大阪東で初めて執り行いました。毎月会館を借りて行っていたのですが、予約の大変さや常に決まった場所で行うわけではないため荷物の移動に不便があったりしていました。その中で、僧侶、スタッフ、信者の方々と相談を重ね、拠点となる瞑想場が必要であるという結果に至り、まずは雨安居の間、3ヶ月間僧侶が大阪で暮らすことになりました。このようにしていく中で、2000年3月27日(月)にタンマガーイ寺院大阪別院がJSKビルの2階に立ち上がりました。そして同年4月2日、第1回目となる瞑想会が開かれました。活動を始めると、寺院を訪れる方が増え、2002年9月、同ビル3階も寺院として使用することになりました。 大阪別院となってから、関西地区の仏教徒の心の拠り所となり、仏教の教えを伝え、また瞑想の手ほどきを行うなど、積極的に活動をし、またしても寺院に人が溢れ、また、場所が狭いために短期出家式などのコースを開催することが出来なかったりしたために、2005年、改めて寺院となる場所を探すことになりました。2006年4月2日、現在の大阪別院が建立され、オープニングセレモニーが行われました。
大阪別院
1階 寺務所
2階 本堂100~120名収容可能
3階 僧侶、ウバソク宿舎
埼玉別院は日本に誕生したタンマガーイ寺院、7番目の別院です。埼玉県に住む、タイ人、日本人の心に仏教の教えが届き、別院が誕生するに至りました。歩みは2007年1月、埼玉県にあるメルト会館で行った仏供養大式典から始まりました。月々変わる式典会場や限られた時間に苦労しながらも、僧侶、スタッフ、信者共にくじけず根気よく式典を続けていました。会場を押さえるのも1ヶ月前から予約しに行かなくてはならないなど、また一苦労がありました。式典に参加する信者の皆さんも、毎月場所が変わることによって、場所の変更の知らせがいき通らなかったり、場所が分からず道に迷ったり等、問題にも繋がりました。半年続けて、全員の間にひとつの決まった場所が必要不可欠だという思いが生まれました。 そこで埼玉別院を立ち上げるべく活動を続け、同年10月26日にガティン衣献上式を川越ふれあいセンターにて行い、改めて心をひとつに功徳を積みました。2008年4月25日、2階建て(265.62㎡)の一軒家を借り、ここをタンマガーイ寺院埼玉別院としました。内装の改築から、1ヶ月で寺院を正式にスタートさせることができました。そしてここが埼玉県でタンマガーイ瞑想、仏教の教えを広める新たな拠点となりました。 会館を借りて儀式を行い始めてから約1年、2008年6月8日、7番目の別院が誕生しました。タイからターナヴットー比丘もお祝いに駆けつけてくれました。 その日から、平日、休日、仏日にも信者が埼玉別院を訪れ、瞑想や僧侶の法話を聞き、たくさんの方が功徳を積むためにこの世に生まれてきたという真の人生の目標を見つけれたれています。
栃木で暮らす仏教徒のために今市市に家を借り、皆さんの功徳を積む場として2004年4月、タンマガーイ寺院栃木別院の歴史が始まりました。しかし、交通の便が悪かったため、寺院は1年後に引越しをすることになりました。引越し先は、宇都宮市の3階建ての建物でした。ここは駅からも近く、交通の便のとても良いところでした。2005年5月15日、栃木別院はまた新たに活動を始めました。引越したことで、毎月行う仏供養大式典には20~30名の方が参加されるようになりました。 2006年、DMC放送が広がり、この放送の中で日本を中心としたDMCasiaの放送が始まると、この放送を見た方が栃木別院を訪れるようになり、あっという間に40~50名に増えました。そのため、毎月の儀式を行うために信者の皆さんを収容することが出来なくなってしまいました。そこで更なる仏教の飛躍を願い、新たな土地を探すこととなりました。2007年、宇都宮市大谷町に4ライ(1,940坪)の建物のついた土地を見つけ、ここを栃木別院とすることに決めました。ここは駅から車で20分の位置にありながら、とても静かな場所で、瞑想をするにはとてもふさわしい場所です。スタッフ、信者、力を合わせて、寺院にふさわしくなるよう内装の改築を行い、2007年9月9日、栃木別院の開創式を行いました。 こうして現在まで、毎月様々な儀式を行っています。タイ総本山のタンマガーイ寺院で行われる儀式は、DMC放送の生中継と同時に行われています。 また、DMC普及のための拠点となり、栃木県に住むたくさんの方々に仏教の教えと共に、人生の真実や目的を理解していただいています。 寺院となるにふさわしい土地を探し、現在の寺院になるまでの道のりは簡単なものではありませんでした。多くの仏教徒が心をひとつにし、この場に集まり、様々な活動を行い、お釈迦様へ信仰心を深めてきたからこそ、今現在の栃木別院があるのです。この先の未来、この力は日本人の心にも必ず届くことでしょう。
東京本院で功徳を積んでいた茨城県民の信者さんの要望を受け、3名の僧侶が毎月出張説法会を県内で行っていた事が、茨城別院設立の第一歩でした。2007年、茨城での毎週の活動が出来るようにと家を借り、3名の僧侶が茨城県で雨安居の3ヶ月間を過ごすことになりました。 ここから、タイ人、日本人とここへ訪れる人が増え、ここが茨城別院となりました。そして、同年9月10日、タイからターナヴットー比丘を迎え、茨城別院の旅立ちを祝いました。2階建ての1階が100名を収客できる本堂、2階が10名使用可能な僧侶、ウバソクの宿舎として使用していました。また、60台の駐車スペースがありました。寺院を訪れる人が増えたことで、さらに広い場所を探し、2009年5月1日に1036㎡(1階686㎡、2階350㎡)ある2階建ての建物を皆さんの協力により購入しました。茨城別院
1階 本堂(300名収容可能)、食堂、寺務所
2階 僧侶、ウバソク宿舎
山梨別院は、東京本院で功徳を積まれていた山梨県民の信者の方々からの声を受けて2007年10月誕生しました。それまでは、僧侶は駐在していませんでしたが、2009年7月から、タイから僧侶を招き、雨安居に入ることとなりました。当初は2階だけを借りていましたが、僧侶が駐在することになり、3階も借りて、そこを宿舎としました。僧侶が寺院に滞在するようになり、日曜日にはタイ人、日本人が瞑想や仏教の教えを学びに来るようになりました。2009年7月12日、プーシャガロー比丘を山梨別院住職として迎え、この日晴れて300㎡あるこの建物で正式な別院をスタートさせました。山梨別院は一戸建ての2階(150㎡)3階(150㎡)を借りて、布教活動を行っています。外 駐車場(6台駐車可能)
2階 本堂(60名収容可能)、寺務所、受付、食堂
3階、僧侶、ウバソクの宿舎(10名宿泊可)









