法の会話

仏教とは何か?

Rob : 仏教が世界宗教の一つであるということは知っていましたが、それは宗教というよりかは、生き方や生きる姿勢に関わるものだと聞いたことがあります。

Tim:その通りです。「宗教」という言葉は、唯一神や神々に対する信仰、そしてその信仰に関わる活動、つまり祈りを捧げることや、お寺や神社に行くことを指しています。しかし元々の、お釈迦様が説いた仏教は、特定の神や、創造主としての唯一神を信仰するようには教えていません。

Rob:仏教には神がいないのですか?

Tim: 実際のところ、多くの神や女神が話の中に出てきます。 ですが仏教では、それらを信仰するようにとは教えていないのです。

Rob: では、仏教徒は何を信仰しているのですか?

Tim:そうですね、正しい仏教徒はダンマ(法)と呼ばれる、ブッダの教えを信仰しています。

Rob:ブッダが仏教の創始者ということですか?

Tim:はい、そうです。

Rob:それは一体、どんな教えなんですか?

Tim:自己救済の道です。

Rob:「自己救済の道」ですか?

Tim:そうです。お釈迦様は、「己を拠り所とせよ」と仰ったのです。

Rob:よくわかりません。 詳しく説明していただけますか?

Tim:そうですね、仏教は科学的見地と、論理と理性に基づいています。このことは、探究心を促進させます。そしてそれは、人に最終的な真実を捜し求めるように促すので、彼らは智慧を得るでしょう。その智慧によって、人はやがてニルヴァーナ(涅槃)と呼ばれる、解放された状態に至ります。 これが仏教の最終目標とするところであり、これは自己の努力によってのみ達成されるもので、外部には頼ることができません。今言ったことを見ると、仏教が人間の可能性を信じている宗教であるということがおわかりになるでしょう。 この為に、お釈迦様は「己を拠り所とせよ」と仰りました。そうですね、仏教は科学的な調査、論理そして道理に基づいています。それは、探究心を促進させます。それは、人に最終的な真実を捜し求めるように促すので、彼らは知恵を得るでしょう。知恵を通して、彼らはいかなる外部の力に頼ることなく、自身の努力によって仏教の最終的な目標である涅槃又は解放に達するでしょう。これは、仏教が人の可能性を信じているという事をはっきりと示しています。そしてこれがなぜ仏陀が「人は自身の保護である」と述べた理由です。

Rob: 「ニルヴァーナ」というのは、「解放」と同じ意味ですか?

「涅槃」は「解放」と同義語ですか?

Tim: ちょっと違いますね。 仏教のニルヴァーナ ―パーリ語ではニッパーナと読むのですが、それは穢れを滅した状態のことを指します。 穢れとは、欲望、憎しみ、妄念のことです。 穢れを滅することが出来さえすれば、誰もが輪廻のサイクルから逃れることができます。 つまり、二度と生まれないということで、それは苦しみをそれ以上経験しないで済むということです。仏教では、厳密にいうと少し違い、涅槃はすなわち欲望、憎悪そして妄想である汚れの消滅について言及しています。自身の汚れの消滅を行う事ができる誰もが、輪廻存在のサイクルから自身を解放するでしょう。それは、彼らは決して再び生まれ変わらない事です。彼らは決して再び苦しみを経験する事はないでしょう。

Rob: 穢れは誰だって持っていますよね。 乗り越えられるものもあれば、難しいものもあります。 どうしたらそれを滅することができるのでしょうか?汚れを持つことはすべての人にとつて普通です。時々、我々はそれらを克服する事ができるが、できない時もあります。どのように我々はそれらを消滅させるのでしょうか?

Tim: 精神的に成長すること、そして瞑想することです。 それが、仏教の最終目標に到達する唯一の方法です。 つまり、穢れを滅することができるのは、智慧によってのみだということです。 そして智慧は基本的に、瞑想によってもたらされるのです。精神の発達又は瞑想の実施を通してです。それは、仏教の最終的な目標に達する唯一の方法です。実際に、汚れの消滅に達する唯一の方法は、智慧です。そして、智慧は最初に瞑想を通して達成されます。

Rob:瞑想は、ニルヴァーナに到達する為の手段だということですね。 では、ニルヴァーナを欲しない人は、瞑想しなくてもいいということですか?瞑想は、涅槃に達する為の手段です。それゆえ、涅槃の到達を期待しない人は瞑想を必要としない。それは正しいですか?

Tim:仏教は2種類のレベルの目標を提示しています。 一つは、現世と来世における幸福を求めるものです。 もう一つが、ニルヴァーナによる解放を求めるもので、こちらは究極の目標ですね。 瞑想は心を律して集中力を養い、また強くもするものなので、誰にとっても有益なものですよ。 お釈迦様は、心こそがあらゆる精神状態の源であり、美徳や、良い人格の源であると説いています。 そうした美徳や良い人格を得るためには、心を律する必要があるのです。 善く、幸福に生きるために、瞑想をするのです。仏教とは生き方そのものであるということについて、お分かりいただけましたか? 実際は、仏教は二つのレベルの目標を提供しています。

一つ目のレベルは、現世と来世での幸福と良い運命の目標です。

二つ目は、涅槃と解放の目標です。

これは、最終的な目標です。瞑想の実践はみんなに有益で、心を訓練したり、注意散漫の心を防いだり、その上、心を強くするなど、一番良い方法です。仏陀は、心はすべての美徳と質のすべての精神状態の源であると述べています。これらの美徳と品質を得るために、我々は心を訓練しなければなりません。良い幸せな生活をする為に我々は瞑想を実践しなければなりません。今、あなたは仏教が生き方である事に同意しますか?

Rob:はい、どうもありがとうございました。はい、ありがとうございました。