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	<title>タイ国タンマガーイ寺院</title>
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	<description>瞑想によって本当の幸せを伝えるウェブサイ</description>
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		<title>タイの大洪水を復興する活動</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Mar 2012 07:15:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[タンマガーイ寺院]]></category>
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		<description><![CDATA[　今年の3月7日は仏教徒にとって、また世界にとって非常に重要な日です。それはお釈迦様が悟りを開いてからまもなく、初めてとなる僧団の会議が行われたからです。当時、お釈迦様は1,250人の阿羅漢の前で仏教の布教活動の方針について説かれました。その方針が本日まで仏教を存在させてきました。 　お釈迦様の入滅から2513年の後、2人の弟子と十数人の仏教徒によって世界で1番大きい寺院が建立されました。その寺院がタンマガーイ寺院です。 　総本山タンマガーイ寺院は瞑想を実践するのに相応しい寺院です。これは、ルアンポー・タンマチャヨー住職とクンヤーイ･アージャーン･ヂャン先生の堅い決意のもとに生まれました。それは、仏陀が存命されていた時のように心を爽やかに落ち着かせ、瞑想が出来るようにという堅い決意です。そして「良い寺院、良い僧侶、良い人の育成」という構想を打ち立てました。これまでの41年間、タンマガーイ寺院は人々の心に道徳を植え付け、今の時代、かつ世界中の人々が必要としている良い人間を育ててきました。 　その活動は寺院内だけではなく、人々を励ますために寺院外での活動も行われています。今回、その中の1つで1,127人の僧侶により行われた「タンマチャイ頭陀行」を紹介します。 　2011年、タイ王国を襲った大規模な洪水は過去50年で最も深刻な被害を出しました。死者400人以上、産業地域７村が沈み、失業者300万人以上を出した今回の洪水における経済的損失は1兆バーツ（約3兆円）であると推定されています。 　タンマガーイ寺院は今回の被害を回復するために僧侶1,127人による頭陀行を執り行ないました。総距離365km、大洪水の被害を受けた6つの県を股に掛け、2012年1月2日から25日の23日間をかけ、人々の心に残った傷跡を回復させ、国のために功徳を積みました。今回の行事はお釈迦様の足跡を辿ることで災害と共に訪れた悪業、穢れ、魔障を取り払うことです。 　お釈迦様存命の時代でも同じように三宝の力によって大災害を払い除けました。かつて、パイサーリーの都が大災害に見舞われ、多くの死者を出したときにお釈迦様はパイサーリーの都を助けるために500人の僧侶と共にラーチャクルを出発しました。お釈迦様がパイサーリーの都を訪れたときに三宝の力によって大災害は去り、様々な吉祥がパイサーリーの人々にもたらされたのです。 　1,127人の頭陀行をしている僧侶を目にする人々は感動と感激を覚えたそうです。ですから、毎日、3万人ほどの人がこの頭陀行の道の横で僧侶らを迎えました。 　人々は「これほど長い距離、これほどの数の頭陀行をする僧侶なんて見たことがありません。それに加え、これほどの在家者の方々が僧侶を迎えている姿も見たことがありません。とても感動しました。この辺りは45日間ほど大洪水の被害を受けていました。僧侶の方々が頭陀行をして下さり、とても励みになります。」と口にしていました。 　今回の頭陀行が、人々にどれほどの効果をもたらしたのか読まれた方にも理解できたかと思います。お釈迦様に対して信仰心を抱いている僧侶の頭陀行の一歩一歩が人々に幸福をもたらすのです。このような頭陀行を次回は4月2日～6日に行う予定になっています。日本にいらっしゃる皆様にも頭陀行を行なっている僧侶を応援して頂ければと思います。それでは、また次回。 （ソムキャット比丘）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="left"><a class="frame-holder alignleft" href="http://www.dimcjp.org/wp-content/uploads/2012/03/1784_1024x768.jpg" rel="shadowbox"><img title="1784_1024x768" src="http://www.dimcjp.org/wp-content/uploads/2012/03/1784_1024x768-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" /></a>　今年の3月7日は仏教徒にとって、また世界にとって非常に重要な日です。それはお釈迦様が悟りを開いてからまもなく、初めてとなる僧団の会議が行われたからです。当時、お釈迦様は1,250人の阿羅漢の前で仏教の布教活動の方針について説かれました。その方針が本日まで仏教を存在させてきました。</p>
<p align="left">　お釈迦様の入滅から2513年の後、2人の弟子と十数人の仏教徒によって世界で1番大きい寺院が建立されました。その寺院がタンマガーイ寺院です。<span id="more-1847"></span></p>
<p align="left">　総本山タンマガーイ寺院は瞑想を実践するのに相応しい寺院です。これは、ルアンポー・タンマチャヨー住職とクンヤーイ･アージャーン･ヂャン先生の堅い決意のもとに生まれました。それは、仏陀が存命されていた時のように心を爽やかに落ち着かせ、瞑想が出来るようにという堅い決意です。そして「良い寺院、良い僧侶、良い人の育成」という構想を打ち立てました。これまでの41年間、タンマガーイ寺院は人々の心に道徳を植え付け、今の時代、かつ世界中の人々が必要としている良い人間を育ててきました。</p>
<p align="left">　その活動は寺院内だけではなく、人々を励ますために寺院外での活動も行われています。今回、その中の1つで1,127人の僧侶により行われた「タンマチャイ頭陀行」を紹介します。</p>
<p align="left">　2011年、タイ王国を襲った大規模な洪水は過去50年で最も深刻な被害を出しました。死者400人以上、産業地域７村が沈み、失業者300万人以上を出した今回の洪水における経済的損失は1兆バーツ（約3兆円）であると推定されています。</p>
<p align="left"><a class="frame-holder alignleft" href="http://www.dimcjp.org/wp-content/uploads/2012/03/1871_1024x768.jpg" rel="shadowbox"><img title="1871_1024x768" src="http://www.dimcjp.org/wp-content/uploads/2012/03/1871_1024x768-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" /></a>　タンマガーイ寺院は今回の被害を回復するために僧侶1,127人による頭陀行を執り行ないました。総距離365km、大洪水の被害を受けた6つの県を股に掛け、2012年1月2日から25日の23日間をかけ、人々の心に残った傷跡を回復させ、国のために功徳を積みました。今回の行事はお釈迦様の足跡を辿ることで災害と共に訪れた悪業、穢れ、魔障を取り払うことです。</p>
<p align="left">　お釈迦様存命の時代でも同じように三宝の力によって大災害を払い除けました。かつて、パイサーリーの都が大災害に見舞われ、多くの死者を出したときにお釈迦様はパイサーリーの都を助けるために500人の僧侶と共にラーチャクルを出発しました。お釈迦様がパイサーリーの都を訪れたときに三宝の力によって大災害は去り、様々な吉祥がパイサーリーの人々にもたらされたのです。</p>
<p align="left">　1,127人の頭陀行をしている僧侶を目にする人々は感動と感激を覚えたそうです。ですから、毎日、3万人ほどの人がこの頭陀行の道の横で僧侶らを迎えました。</p>
<p align="left">　人々は「これほど長い距離、これほどの数の頭陀行をする僧侶なんて見たことがありません。それに加え、これほどの在家者の方々が僧侶を迎えている姿も見たことがありません。とても感動しました。この辺りは45日間ほど大洪水の被害を受けていました。僧侶の方々が頭陀行をして下さり、とても励みになります。」と口にしていました。</p>
<p align="left">　今回の頭陀行が、人々にどれほどの効果をもたらしたのか読まれた方にも理解できたかと思います。お釈迦様に対して信仰心を抱いている僧侶の頭陀行の一歩一歩が人々に幸福をもたらすのです。このような頭陀行を次回は4月2日～6日に行う予定になっています。日本にいらっしゃる皆様にも頭陀行を行なっている僧侶を応援して頂ければと思います。それでは、また次回。</p>
<p align="right">（ソムキャット比丘）</p>
<p align="left">
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		<title>紙風船</title>
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		<pubDate>Sat, 03 Mar 2012 00:58:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[皆さん、こんにちは。ティッサローです。今回は、２月10日に参加した秋田の上桧木内紙風船あげ2012についてのお話をしたいと思います。  タイの紙風船（コームローイ）をご存知の人もいるでしょう。タイでは、ラーンナー王朝の時代からの風習となっています。現在でも毎年12月には、タイ北部にあるチェンマイ県でイーペン祭りとして１万の紙風船が打ち上げられています。日本からもたくさんの方がこのお祭りに参加されています。これを読まれた方の中にも、もしかしたら、参加したことがあるという人がいるかもしれません。タイでは、悪運や悲しみなどすべてのマイナスなものを空に放ち、翌年、良い年を送れるように願います。また、タイは国王をはじめ、国民の95％が仏教徒とされる仏教国です。ローイコームには厄除けなど意外にも、お釈迦様、三宝に帰依し、供養するという意味も含まれています。 　さて、私は昨年、日本に紙風船上げというお祭りがあるということを初めて知りました。日本にこのような伝統があるということを今まで全然知りませんでした。そして、是非ともこの祭りで私たちのコームローイをしたいと思いました。それは、こんなことがきっかけでした。  2011年３月11日の東日本大震災のあと、日本を愛する様々な国の人が日本を助けたいと援助をしていました。私たちタイの国もその中の一つです。街中では募金活動が、メディアに登場する歌手は日本を応援するために、曲を作り届けました。私は日本とタイは友達だと思っています。友達が困っていれば、力になりたいものです。日本に住む私は、タイ文化交流会を通して、被災された土地で残された方を勇気づけたいと思い、炊き出しボランティアをさせもらいました。こうしているうち、11月にタイで大洪水が起こりました。これを知った日本の皆さんは、まだ自分たちの傷が癒えていないにも関わらず、タイヘ義援金を送ってくださったり、私達を見かけると、タイは大丈夫なの？負けないで、頑張ってと励ましてくれました。困った時にこそ助け合う、これぞ真の友達だ日本人の思いやりにとても感激しました。私は、日本とタイは親友だと確信しました。これから更なる友情を築くためにも日本をもっと良く知りたいと強く感じました。そのためにも、日本の文化となっている行事に参加することにはとても意義があり、参加することでタイと日本の伝統文化の交流にもなると思ったのです。 　当日は日本全国の別院から僧侶、スタッフ、信者の皆さん総勢約80名で参加しました。東京を朝４時に出発しました。到着すると、会場は一面雪景色になっていました。見渡す限り、雪、雪、雪。気温はマイナス8度を回っていました。秋田の紙風船はとても大きく、6メートルから10メートルほどの大きさでした。2ヵ月以上かけて、集落や学校などのグループで作り上げるそうです。みんなで協力して作った紙風船には、それぞれ願い事や未来へのメッセージが書かれていました。 　私たちは、互いに復興を願い、夜空に紙風船を打ち上げました。今年だけでなく、来年、再来年と一緒に参加させてもらえるようになればいいと思っています。 （ティッサロー比丘）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://2.bp.blogspot.com/-R7do4rPHr-Y/T07eUxCmfYI/AAAAAAAAAcY/3nk5vfjtA2g/s1600/Festival%2B092.jpg"><img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5714749425522736514" style="float: left; margin: 0 10px 10px 0; cursor: hand; width: 130px; height: 200px;" src="http://2.bp.blogspot.com/-R7do4rPHr-Y/T07eUxCmfYI/AAAAAAAAAcY/3nk5vfjtA2g/s200/Festival%2B092.jpg" alt="" border="0" /></a><span style="font-size: 100%; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">皆さん、こんにちは。ティッサローです。今回は、２月</span><span style="font-family: Georgia, serif; font-size: 100%;" lang="EN-US">10</span><span style="font-size: 100%; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">日に参加した秋田の上桧木内紙風船あげ</span><span style="font-family: Georgia, serif; font-size: 100%;" lang="EN-US">2012</span><span style="font-size: 100%; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">についてのお話をしたいと思います。</span></p>
<p><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;"> タイの紙風船（コームローイ）をご存知の人もいるでしょう。タイでは、ラーンナー王朝の時代からの風習となっています。現在でも毎年</span><span style="font-family: Georgia, serif; font-size: 100%;" lang="EN-US">12</span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">月には、タイ北部にあるチェンマイ県でイーペン祭りとして１万の紙風船が打ち上げられています。日本からもたくさんの方がこのお祭りに参加されています。これを読まれた方の中にも、もしかしたら、参加したことがあるという人がいるかもしれません。タイでは、悪運や悲しみなどすべてのマイナスなものを空に放ち、翌年、良い年を送れるように願います。また、タイは国王をはじめ、国民の</span><span style="font-family: Georgia, serif; font-size: 100%;" lang="EN-US">95</span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝','serif'; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">％が仏教徒とされる仏教国です。ローイコームには厄除けなど意外にも、お釈迦</span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝', serif; font-size: 100%;">様、三宝に帰依し、供養するという意味も含まれています。<span id="more-1739"></span></span></p>
<p><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">　さて、私は昨年、日本に紙風船上げというお祭りがあるということを初めて知りました。日本にこのような伝統があるということを今まで全然知りませんでした。そして、是非ともこの祭りで私たちのコームローイをしたいと思いました。それは、こんなことがきっかけでした。</span></p>
<p><span style="font-size: 10.5pt; font-family: Century, serif;" lang="EN-US"> 2011</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">年３月</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: Century, serif;" lang="EN-US">11</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">日の東日本大震災のあと、日本を愛する様々な国の人が日本を助けたいと援助をしていました。私たちタイの国もその中の一つです。街中では募金活動が、メディアに登場する歌手は日本を応援するために、曲を作り届けました。私は日本とタイは友達だと思っています。友達が困っていれば、力になりたいものです。日本に住む私は、タイ</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">文化交流会を通して、被災された土地で残された方を勇気づけたいと思い、炊き出しボ</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">ランティアをさせもらいました。こうしているうち、</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: Century, serif;" lang="EN-US">11</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">月にタイで大洪水が起こりました。これを知った日本の皆さんは、まだ自分たちの傷が癒えていないにも関わらず、タイヘ義援金を送ってくださったり、私達を見かけると、タイは大丈夫なの？負けないで、頑張ってと励ましてくれました。困った時にこそ助け合う、これぞ真の友達だ日本人の思いやりにとても感激しました。私は、日本とタイは親友だと確信し</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">ました。これから更なる友情</span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝', serif; font-size: 10.5pt;">を築くためにも日本をもっと良く知りたいと強く感じました。そのためにも、日本の文化となっている行事に参加することにはとても意義があり、参加することでタイと日本の伝統文化の交流にもなると思ったのです。</span></p>
<img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5714750059565806786" style="float: left; margin-top: 0px; margin-right: 10px; margin-bottom: 10px; margin-left: 0px; cursor: pointer; width: 133px; height: 200px;" src="http://2.bp.blogspot.com/-4p5XHl5eDuo/T07e5rCP9MI/AAAAAAAAAck/EtMHv7lTrC8/s200/KK1_8826.jpg" alt="" border="0" />
<p class="MsoNormal" style="font-family: Georgia, serif; font-size: 100%;"><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">　当日は日本全国の別院から僧侶、スタッフ、信者の皆さん総勢約</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: Century, serif;" lang="EN-US">80</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">名で参加しました。東京を朝４時に出発しました。到着すると、会場は一面雪景色になっていました。見渡す限り、雪、雪、雪。気温はマイナス</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: Century, serif;" lang="EN-US">8</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">度を回</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">っていました。秋田の紙風船はとても大きく、</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: Century, serif;" lang="EN-US">6</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">メートルから</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: Century, serif;" lang="EN-US">10</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">メートルほどの大きさでした。</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: Century, serif;" lang="EN-US">2</span><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">ヵ月以上かけて、集落や学校などのグループで作り上げるそうです。みんなで協力して作った紙風船には、それぞれ願い事や未来へのメッセージが書かれていました。</span></p>
<div>
<p class="MsoNormal" style="font-family: Georgia, serif; font-size: 100%;"><span style="font-size: 10.5pt; font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;">　私たちは、互いに復興を願い、夜空に紙風船を打ち上げました。今年だけでなく、来年、</span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝', serif; font-size: 10.5pt;">再来年と一緒に参加させてもらえるようになればいいと思っています。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="font-family: Georgia, serif; font-size: 100%;"><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝', serif; font-size: 10.5pt;">（ティッサロー比丘）</span></p>
</div>
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		<title>体は病んでも、心は元気</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:52:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[ 人間の体は老い、衰えていくものです。しかし、たとえ体が衰弱したり、敵に傷つけられたりしようとも、心をはっきりと澄んだままに保つことはできます。くるしんでいるまっただなかでも、心を安らかにすることができます。 体とは車、飛行機、自転車などの乗り物のようなものです。私たちが体を使うのであって、逆に体に使われてしまうべきではありません。心を制することができれば、肉体的な苦しみに直面しても、心は自由ではっきりと澄んだままに保つことができるのです。 ブッダはおっしゃいました。 「健康に注意しなさい。それがすべての向上の基礎である」 私たち僧侶は体が病むとき、よくこんなふうに言います。 「体は病んでも、心は元気いっぱいさ!」]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"> 人間の体は老い、衰えていくものです。しかし、たとえ体が衰弱したり、敵に傷つけられたりしようとも、心をはっきりと澄んだままに保つことはできます。くるしんでいるまっただなかでも、心を安らかにすることができます。<br />
体とは車、飛行機、自転車などの乗り物のようなものです。私たちが体を使うのであって、逆に体に使われてしまうべきではありません。心を制することができれば、肉体的な苦しみに直面しても、心は自由ではっきりと澄んだままに保つことができるのです。<br />
ブッダはおっしゃいました。<span id="more-629"></span></p>
<p style="text-align: center;">「健康に注意しなさい。それがすべての向上の基礎である」<br />
私たち僧侶は体が病むとき、よくこんなふうに言います。<br />
「体は病んでも、心は元気いっぱいさ!」</p>
<p style="text-align: center;"><iframe src="http://www.youtube.com/embed/cfpUHndKt6g" frameborder="0" width="420" height="315"></iframe></p>
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		<title>怒り</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:49:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ブッダの教え]]></category>
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		<category><![CDATA[ธรรมกาย]]></category>
		<category><![CDATA[วัดไทยในญี่ปุ่น]]></category>
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		<description><![CDATA[怒りに支配されると、自分や周りの人を傷つけてしまいます。怒りは心と体を燃やします。顔は赤くなり、心臓は衰弱して手が震えます。 最初になすべき義務は、自分自身を護ること。そこで「私自身を傷つけませんように。私が怒りかれ離れられますように」と言うのです。怒りを分析すれば、怒りそのものは存在しないことに気づけます。常に何か他のものによって条件づけられているのです。怒りを発する「私」はありません。そこには現象しかないのです。 怒ると顔が酷くなります。怒りは炎です。その炎は、何百という脳細胞と血球を燃やします。 慈しみがあるとき、顔が輝き、美しく、すばらしくなります。慈しみとは水のようなもの。沸騰したお湯をしばらく置いておくと、また冷たい水に戻ります。ときには怒って沸騰させてしまうこともあるでしょうが、怒りの反対の慈しみを静かに見つめて、優しく冷ますこともできます。水は浄めるためのもの。怒っていると、その水が汚れてしまいます。慈しみは水のようにどこへでも流れていきます。 自分の怒りに気がつけば、怒りの勢いは消えます。そしてその怒りは、対極である仏の哀れみの心、慈悲を生むのです。 以下は怒りより他人への優しい気持ちはどんなに良いものなのか、教えてくれるのです。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>怒りに支配されると、自分や周りの人を傷つけてしまいます。怒りは心と体を燃やします。顔は赤くなり、心臓は衰弱して手が震えます。</p>
<p>最初になすべき義務は、自分自身を護ること。そこで「私自身を傷つけませんように。私が怒りかれ離れられますように」と言うのです。怒りを分析すれば、怒りそのものは存在しないことに気づけます。常に何か他のものによって条件づけられているのです。怒りを発する「私」はありません。そこには現象しかないのです。<span id="more-624"></span></p>
<p>怒ると顔が酷くなります。怒りは炎です。その炎は、何百という脳細胞と血球を燃やします。</p>
<p>慈しみがあるとき、顔が輝き、美しく、すばらしくなります。慈しみとは水のようなもの。沸騰したお湯をしばらく置いておくと、また冷たい水に戻ります。ときには怒って沸騰させてしまうこともあるでしょうが、怒りの反対の慈しみを静かに見つめて、優しく冷ますこともできます。水は浄めるためのもの。怒っていると、その水が汚れてしまいます。慈しみは水のようにどこへでも流れていきます。</p>
<p>自分の怒りに気がつけば、怒りの勢いは消えます。そしてその怒りは、対極である仏の哀れみの心、慈悲を生むのです。</p>
<p>以下は怒りより他人への優しい気持ちはどんなに良いものなのか、教えてくれるのです。</p>
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		<title>未来は現在の結果</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:47:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[ある時、私は今までの習慣と違った場所に行かなければなりませんでした。新しい環境の中で自分の心の悩みを感じました。その時、ある言葉で助かられました。それは「今と生きること」です。 幸福の秘訣は、私たちの目の前にあるものとしっかり向かい合うこと、いまという瞬間を精一杯生きることです。過去に遡ってやりなおすことはできません。過去はすぎたことです! また、未来を思いのままにすることもできません。ですから思い悩むことはないのです! 私がこんど飛行機に乗る時に何か起こるかなんて、いったい誰がわかるでしょうか。私は無事に目的地に到着できるかもしれませんし、できないかもしれません。将来の計画を立てるにしても、現在において計画することしかできないのです。私たちがコントロールできるのはこの一瞬だけなのです。ですから、この一瞬を慈しんで上手に使えばよいのです。現在を本当に大切にすれば、過去の苦しみに悩まれることは絶対にありません。 現在を大切にすれば、未来はよくなるでしょう。幸せはつねに現在にあり、あなたの中心にあります。いまの大切さを理解し、それを有効的に使え、私たちの幸福の源である中心に入っていくでしょう。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ある時、私は今までの習慣と違った場所に行かなければなりませんでした。新しい環境の中で自分の心の悩みを感じました。その時、ある言葉で助かられました。それは「今と生きること」です。</p>
<p>幸福の秘訣は、私たちの目の前にあるものとしっかり向かい合うこと、いまという瞬間を精一杯生きることです。過去に遡ってやりなおすことはできません。過去はすぎたことです!<span id="more-621"></span></p>
<p style="text-align: center;"><a class="frame-holder aligncenter" href="http://www.dimcjp.org/wp-content/uploads/2011/04/blog3.jpg" rel="shadowbox"><img title="" src="http://www.dimcjp.org/wp-content/uploads/2011/04/blog3.jpg" alt="" width="650" height="281" /></a></p>
<p>また、未来を思いのままにすることもできません。ですから思い悩むことはないのです!</p>
<p>私がこんど飛行機に乗る時に何か起こるかなんて、いったい誰がわかるでしょうか。私は無事に目的地に到着できるかもしれませんし、できないかもしれません。将来の計画を立てるにしても、現在において計画することしかできないのです。私たちがコントロールできるのはこの一瞬だけなのです。ですから、この一瞬を慈しんで上手に使えばよいのです。現在を本当に大切にすれば、過去の苦しみに悩まれることは絶対にありません。</p>
<p>現在を大切にすれば、未来はよくなるでしょう。幸せはつねに現在にあり、あなたの中心にあります。いまの大切さを理解し、それを有効的に使え、私たちの幸福の源である中心に入っていくでしょう。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>苦しみを解き放つ</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:45:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[ブッダはおっしゃいました。 「私はただ二つのことを説いた。それは、苦しみと苦しみの消滅である」 苦しみの原因とはなんでしょうか。それは執着から生じます。心のなかで「そのようになってくれれば」と思ったら、そこには苦しみがあります。逆に心のなかで「あのようになった」と思っても、やはり苦しみがあります。心がそこにとらわれている限り、苦しみは存在します。心が静かに落ち着いた時に、安らかで自由になるのです。 執着には渇愛、怒り、恨み、貪欲などと呼ばれています。執着は、脱皮する蛇のようなものです。固い執着の皮のしたには、いつでも新たな執着の皮がひそんでいます。 では、どうすれば執着から自由になれるのでしょうか。それは、ただ手放せばよいのです。「執着をつかめば苦しむが、手放すことは喜びである」。心を修められない者には、まるで雄牛が荷車を引くように、苦しみがあとからついていきます。しかし、心を修めた者には、平和が影のようについていきます。 執着はつねに苦しみをもたらします。これは火を見るより明らかな自然の法則です。私たちが火は熱いものだと思おうが思うまいが、火に触れれば必ず火傷をするのと同じことです。 真理の法は、心というものを知り、これを整え、解き放つことを説いています。心を修めれば、真理の法のすべてを修めることができます。心を修める鍵とは何か。それは正しく中心に心を留めるのです。苦しみから解き放たれるには、長い時間がかかるのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。幸せは常に、今、ここにあります。ただ、このことに気づくまでに何回も苦しみをくりかえしてしまうかもしれません! また、物語を見るには最後まで見てください。正しい方法で生きていけば必ず良い結果がまちます。 このビデオをご覧になってください。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ブッダはおっしゃいました。<br />
「私はただ二つのことを説いた。それは、苦しみと苦しみの消滅である」<br />
苦しみの原因とはなんでしょうか。それは執着から生じます。心のなかで「そのようになってくれれば」と思ったら、そこには苦しみがあります。逆に心のなかで「あのようになった」と思っても、やはり苦しみがあります。心がそこにとらわれている限り、苦しみは存在します。心が静かに落ち着いた時に、安らかで自由になるのです。<br />
執着には渇愛、怒り、恨み、貪欲などと呼ばれています。執着は、脱皮する蛇のようなものです。固い執着の皮のしたには、いつでも新たな執着の皮がひそんでいます。<span id="more-618"></span></p>
<p style="text-align: center;"><iframe src="http://www.youtube.com/embed/nZMCCKBFk0Y" frameborder="0" width="420" height="315"></iframe></p>
<p>では、どうすれば執着から自由になれるのでしょうか。それは、ただ手放せばよいのです。「執着をつかめば苦しむが、手放すことは喜びである」。心を修められない者には、まるで雄牛が荷車を引くように、苦しみがあとからついていきます。しかし、心を修めた者には、平和が影のようについていきます。<br />
執着はつねに苦しみをもたらします。これは火を見るより明らかな自然の法則です。私たちが火は熱いものだと思おうが思うまいが、火に触れれば必ず火傷をするのと同じことです。<br />
真理の法は、心というものを知り、これを整え、解き放つことを説いています。心を修めれば、真理の法のすべてを修めることができます。心を修める鍵とは何か。それは正しく中心に心を留めるのです。苦しみから解き放たれるには、長い時間がかかるのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。幸せは常に、今、ここにあります。ただ、このことに気づくまでに何回も苦しみをくりかえしてしまうかもしれません!<br />
また、物語を見るには最後まで見てください。正しい方法で生きていけば必ず良い結果がまちます。<br />
このビデオをご覧になってください。</p>
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		<title>運がいいか運が悪いか</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:28:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>worldpec</dc:creator>
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		<description><![CDATA[幸運があり、運が尽き、高位に上り、落ちぶれ、ほめられ、けなされ、楽あり、苦あり、とこの八つの世道は人が常に出会っています。自分だけが不幸ということはありません。だれでもこの世道に常に出会っています。でも大切なのはそれに対して自分の心がどのように対応するのかです。 昔あるところに、雌馬をなくした農夫がいました。雌馬がいなくなったとき、村人は「運が悪いねえ」と言いました。しかしその翌日、その雌馬が強くて立派な牡馬をつれて戻ってくると、村人は「運がいいねえ」と言いました。きのうは「運が悪い」と思ったのに、きょうは「運がいい」と思うのです。きのうは「損をした」と言ったのに、きょうは「得をした」と言うのです。どちらが本当なのでしょう。得をすることと損をすることでは正反対です。 農夫の息子はその立派な馬に乗った時に落馬して、足を骨折してしまいました。そこで人々はみな「運が悪いねえ」と言いました。ところが戦争が勃発し、力のある男たちはみんな徴兵されました。多くの男たちが戦場で戦い、死んで行きました。農夫の息子は足を骨折したために、戦争には行けませんでした。これは得したのでしょうか、損したのでしょうか。運がよかったのでしょうか。運が悪かったのでしょうか。そんなこと誰が決めるのでしょうか。 （中国の「人間万事塞翁が馬」に由来する） このような世道に出会う時、大事なことは動揺せずに冷静になることだと私が思います。今、幸せになっているからこの幸せはいつまでも続けるとは限りません。なぜなら、この幸せは無常とともなうもので、物事に頼らなければならなく、真の幸せではありません。 世道に出会う時、動揺せずに瞑想を通して心を落ち着かせることが一番効果的です。一時間だけの瞑想でだめだったたら、二時間。それでもだめだった三時間。このように行い続ければ間違いなくいつか心が安定になり、冷静に世道と対応できるようになるでしょう。さらに、静止になっている心こそが、真の幸せに近づくための第一歩です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>幸運があり、運が尽き、高位に上り、落ちぶれ、ほめられ、けなされ、楽あり、苦あり、とこの八つの世道は人が常に出会っています。自分だけが不幸ということはありません。だれでもこの世道に常に出会っています。でも大切なのはそれに対して自分の心がどのように対応するのかです。<span id="more-608"></span></p>
<p style="text-align: center;"><iframe src="http://www.youtube.com/embed/E-Ac3s-IzIY" frameborder="0" width="420" height="315"></iframe></p>
<p>昔あるところに、雌馬をなくした農夫がいました。雌馬がいなくなったとき、村人は「運が悪いねえ」と言いました。しかしその翌日、その雌馬が強くて立派な牡馬をつれて戻ってくると、村人は「運がいいねえ」と言いました。きのうは「運が悪い」と思ったのに、きょうは「運がいい」と思うのです。きのうは「損をした」と言ったのに、きょうは「得をした」と言うのです。どちらが本当なのでしょう。得をすることと損をすることでは正反対です。<br />
農夫の息子はその立派な馬に乗った時に落馬して、足を骨折してしまいました。そこで人々はみな「運が悪いねえ」と言いました。ところが戦争が勃発し、力のある男たちはみんな徴兵されました。多くの男たちが戦場で戦い、死んで行きました。農夫の息子は足を骨折したために、戦争には行けませんでした。これは得したのでしょうか、損したのでしょうか。運がよかったのでしょうか。運が悪かったのでしょうか。そんなこと誰が決めるのでしょうか。<br />
（中国の「人間万事塞翁が馬」に由来する）</p>
<p>このような世道に出会う時、大事なことは動揺せずに冷静になることだと私が思います。今、幸せになっているからこの幸せはいつまでも続けるとは限りません。なぜなら、この幸せは無常とともなうもので、物事に頼らなければならなく、真の幸せではありません。<br />
世道に出会う時、動揺せずに瞑想を通して心を落ち着かせることが一番効果的です。一時間だけの瞑想でだめだったたら、二時間。それでもだめだった三時間。このように行い続ければ間違いなくいつか心が安定になり、冷静に世道と対応できるようになるでしょう。さらに、静止になっている心こそが、真の幸せに近づくための第一歩です。</p>
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