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	<title>タイ国タンマガーイ寺院</title>
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	<description>瞑想によって本当の幸せを伝えるウェブサイ</description>
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		<title>体は病んでも、心は元気</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:52:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ブッダの教え]]></category>
		<category><![CDATA[วัดไทยในญี่ปุ่น]]></category>
		<category><![CDATA[タンマガーイ寺院]]></category>

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		<description><![CDATA[ 人間の体は老い、衰えていくものです。しかし、たとえ体が衰弱したり、敵に傷つけられたりしようとも、心をはっきりと澄んだままに保つことはできます。くるしんでいるまっただなかでも、心を安らかにすることができます。 体とは車、飛行機、自転車などの乗り物のようなものです。私たちが体を使うのであって、逆に体に使われてしまうべきではありません。心を制することができれば、肉体的な苦しみに直面しても、心は自由ではっきりと澄んだままに保つことができるのです。 ブッダはおっしゃいました。 「健康に注意しなさい。それがすべての向上の基礎である」 私たち僧侶は体が病むとき、よくこんなふうに言います。 「体は病んでも、心は元気いっぱいさ!」]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"> 人間の体は老い、衰えていくものです。しかし、たとえ体が衰弱したり、敵に傷つけられたりしようとも、心をはっきりと澄んだままに保つことはできます。くるしんでいるまっただなかでも、心を安らかにすることができます。<br />
体とは車、飛行機、自転車などの乗り物のようなものです。私たちが体を使うのであって、逆に体に使われてしまうべきではありません。心を制することができれば、肉体的な苦しみに直面しても、心は自由ではっきりと澄んだままに保つことができるのです。<br />
ブッダはおっしゃいました。<span id="more-629"></span></p>
<p style="text-align: center;">「健康に注意しなさい。それがすべての向上の基礎である」<br />
私たち僧侶は体が病むとき、よくこんなふうに言います。<br />
「体は病んでも、心は元気いっぱいさ!」</p>
<p style="text-align: center;"><iframe src="http://www.youtube.com/embed/cfpUHndKt6g" frameborder="0" width="420" height="315"></iframe></p>
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		<title>怒り</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:49:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ブッダの教え]]></category>
		<category><![CDATA[怒り]]></category>
		<category><![CDATA[慈しみ]]></category>

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		<description><![CDATA[怒りに支配されると、自分や周りの人を傷つけてしまいます。怒りは心と体を燃やします。顔は赤くなり、心臓は衰弱して手が震えます。 最初になすべき義務は、自分自身を護ること。そこで「私自身を傷つけませんように。私が怒りかれ離れられますように」と言うのです。怒りを分析すれば、怒りそのものは存在しないことに気づけます。常に何か他のものによって条件づけられているのです。怒りを発する「私」はありません。そこには現象しかないのです。 怒ると顔が酷くなります。怒りは炎です。その炎は、何百という脳細胞と血球を燃やします。 慈しみがあるとき、顔が輝き、美しく、すばらしくなります。慈しみとは水のようなもの。沸騰したお湯をしばらく置いておくと、また冷たい水に戻ります。ときには怒って沸騰させてしまうこともあるでしょうが、怒りの反対の慈しみを静かに見つめて、優しく冷ますこともできます。水は浄めるためのもの。怒っていると、その水が汚れてしまいます。慈しみは水のようにどこへでも流れていきます。 自分の怒りに気がつけば、怒りの勢いは消えます。そしてその怒りは、対極である仏の哀れみの心、慈悲を生むのです。 以下は怒りより他人への優しい気持ちはどんなに良いものなのか、教えてくれるのです。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>怒りに支配されると、自分や周りの人を傷つけてしまいます。怒りは心と体を燃やします。顔は赤くなり、心臓は衰弱して手が震えます。</p>
<p>最初になすべき義務は、自分自身を護ること。そこで「私自身を傷つけませんように。私が怒りかれ離れられますように」と言うのです。怒りを分析すれば、怒りそのものは存在しないことに気づけます。常に何か他のものによって条件づけられているのです。怒りを発する「私」はありません。そこには現象しかないのです。<span id="more-624"></span></p>
<p>怒ると顔が酷くなります。怒りは炎です。その炎は、何百という脳細胞と血球を燃やします。</p>
<p>慈しみがあるとき、顔が輝き、美しく、すばらしくなります。慈しみとは水のようなもの。沸騰したお湯をしばらく置いておくと、また冷たい水に戻ります。ときには怒って沸騰させてしまうこともあるでしょうが、怒りの反対の慈しみを静かに見つめて、優しく冷ますこともできます。水は浄めるためのもの。怒っていると、その水が汚れてしまいます。慈しみは水のようにどこへでも流れていきます。</p>
<p>自分の怒りに気がつけば、怒りの勢いは消えます。そしてその怒りは、対極である仏の哀れみの心、慈悲を生むのです。</p>
<p>以下は怒りより他人への優しい気持ちはどんなに良いものなのか、教えてくれるのです。</p>
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		<title>未来は現在の結果</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:47:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ブッダの教え]]></category>
		<category><![CDATA[未来]]></category>
		<category><![CDATA[現在]]></category>

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		<description><![CDATA[ある時、私は今までの習慣と違った場所に行かなければなりませんでした。新しい環境の中で自分の心の悩みを感じました。その時、ある言葉で助かられました。それは「今と生きること」です。 幸福の秘訣は、私たちの目の前にあるものとしっかり向かい合うこと、いまという瞬間を精一杯生きることです。過去に遡ってやりなおすことはできません。過去はすぎたことです! また、未来を思いのままにすることもできません。ですから思い悩むことはないのです! 私がこんど飛行機に乗る時に何か起こるかなんて、いったい誰がわかるでしょうか。私は無事に目的地に到着できるかもしれませんし、できないかもしれません。将来の計画を立てるにしても、現在において計画することしかできないのです。私たちがコントロールできるのはこの一瞬だけなのです。ですから、この一瞬を慈しんで上手に使えばよいのです。現在を本当に大切にすれば、過去の苦しみに悩まれることは絶対にありません。 現在を大切にすれば、未来はよくなるでしょう。幸せはつねに現在にあり、あなたの中心にあります。いまの大切さを理解し、それを有効的に使え、私たちの幸福の源である中心に入っていくでしょう。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ある時、私は今までの習慣と違った場所に行かなければなりませんでした。新しい環境の中で自分の心の悩みを感じました。その時、ある言葉で助かられました。それは「今と生きること」です。</p>
<p>幸福の秘訣は、私たちの目の前にあるものとしっかり向かい合うこと、いまという瞬間を精一杯生きることです。過去に遡ってやりなおすことはできません。過去はすぎたことです!<span id="more-621"></span></p>
<p style="text-align: center;"><a class="frame-holder aligncenter" href="http://www.dimcjp.org/wp-content/uploads/2011/04/blog3.jpg" rel="shadowbox"><img title="" src="http://www.dimcjp.org/wp-content/uploads/2011/04/blog3.jpg" alt="" width="650" height="281" /></a></p>
<p>また、未来を思いのままにすることもできません。ですから思い悩むことはないのです!</p>
<p>私がこんど飛行機に乗る時に何か起こるかなんて、いったい誰がわかるでしょうか。私は無事に目的地に到着できるかもしれませんし、できないかもしれません。将来の計画を立てるにしても、現在において計画することしかできないのです。私たちがコントロールできるのはこの一瞬だけなのです。ですから、この一瞬を慈しんで上手に使えばよいのです。現在を本当に大切にすれば、過去の苦しみに悩まれることは絶対にありません。</p>
<p>現在を大切にすれば、未来はよくなるでしょう。幸せはつねに現在にあり、あなたの中心にあります。いまの大切さを理解し、それを有効的に使え、私たちの幸福の源である中心に入っていくでしょう。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>苦しみを解き放つ</title>
		<link>http://www.dimcjp.org/618</link>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:45:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ブッダの教え]]></category>
		<category><![CDATA[苦しみ]]></category>
		<category><![CDATA[真理]]></category>

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		<description><![CDATA[ブッダはおっしゃいました。 「私はただ二つのことを説いた。それは、苦しみと苦しみの消滅である」 苦しみの原因とはなんでしょうか。それは執着から生じます。心のなかで「そのようになってくれれば」と思ったら、そこには苦しみがあります。逆に心のなかで「あのようになった」と思っても、やはり苦しみがあります。心がそこにとらわれている限り、苦しみは存在します。心が静かに落ち着いた時に、安らかで自由になるのです。 執着には渇愛、怒り、恨み、貪欲などと呼ばれています。執着は、脱皮する蛇のようなものです。固い執着の皮のしたには、いつでも新たな執着の皮がひそんでいます。 では、どうすれば執着から自由になれるのでしょうか。それは、ただ手放せばよいのです。「執着をつかめば苦しむが、手放すことは喜びである」。心を修められない者には、まるで雄牛が荷車を引くように、苦しみがあとからついていきます。しかし、心を修めた者には、平和が影のようについていきます。 執着はつねに苦しみをもたらします。これは火を見るより明らかな自然の法則です。私たちが火は熱いものだと思おうが思うまいが、火に触れれば必ず火傷をするのと同じことです。 真理の法は、心というものを知り、これを整え、解き放つことを説いています。心を修めれば、真理の法のすべてを修めることができます。心を修める鍵とは何か。それは正しく中心に心を留めるのです。苦しみから解き放たれるには、長い時間がかかるのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。幸せは常に、今、ここにあります。ただ、このことに気づくまでに何回も苦しみをくりかえしてしまうかもしれません! また、物語を見るには最後まで見てください。正しい方法で生きていけば必ず良い結果がまちます。 このビデオをご覧になってください。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ブッダはおっしゃいました。<br />
「私はただ二つのことを説いた。それは、苦しみと苦しみの消滅である」<br />
苦しみの原因とはなんでしょうか。それは執着から生じます。心のなかで「そのようになってくれれば」と思ったら、そこには苦しみがあります。逆に心のなかで「あのようになった」と思っても、やはり苦しみがあります。心がそこにとらわれている限り、苦しみは存在します。心が静かに落ち着いた時に、安らかで自由になるのです。<br />
執着には渇愛、怒り、恨み、貪欲などと呼ばれています。執着は、脱皮する蛇のようなものです。固い執着の皮のしたには、いつでも新たな執着の皮がひそんでいます。<span id="more-618"></span></p>
<p style="text-align: center;"><iframe src="http://www.youtube.com/embed/nZMCCKBFk0Y" frameborder="0" width="420" height="315"></iframe></p>
<p>では、どうすれば執着から自由になれるのでしょうか。それは、ただ手放せばよいのです。「執着をつかめば苦しむが、手放すことは喜びである」。心を修められない者には、まるで雄牛が荷車を引くように、苦しみがあとからついていきます。しかし、心を修めた者には、平和が影のようについていきます。<br />
執着はつねに苦しみをもたらします。これは火を見るより明らかな自然の法則です。私たちが火は熱いものだと思おうが思うまいが、火に触れれば必ず火傷をするのと同じことです。<br />
真理の法は、心というものを知り、これを整え、解き放つことを説いています。心を修めれば、真理の法のすべてを修めることができます。心を修める鍵とは何か。それは正しく中心に心を留めるのです。苦しみから解き放たれるには、長い時間がかかるのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。幸せは常に、今、ここにあります。ただ、このことに気づくまでに何回も苦しみをくりかえしてしまうかもしれません!<br />
また、物語を見るには最後まで見てください。正しい方法で生きていけば必ず良い結果がまちます。<br />
このビデオをご覧になってください。</p>
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		<title>運がいいか運が悪いか</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:28:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>worldpec</dc:creator>
				<category><![CDATA[ブッダの教え]]></category>
		<category><![CDATA[運がいい]]></category>

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		<description><![CDATA[幸運があり、運が尽き、高位に上り、落ちぶれ、ほめられ、けなされ、楽あり、苦あり、とこの八つの世道は人が常に出会っています。自分だけが不幸ということはありません。だれでもこの世道に常に出会っています。でも大切なのはそれに対して自分の心がどのように対応するのかです。 昔あるところに、雌馬をなくした農夫がいました。雌馬がいなくなったとき、村人は「運が悪いねえ」と言いました。しかしその翌日、その雌馬が強くて立派な牡馬をつれて戻ってくると、村人は「運がいいねえ」と言いました。きのうは「運が悪い」と思ったのに、きょうは「運がいい」と思うのです。きのうは「損をした」と言ったのに、きょうは「得をした」と言うのです。どちらが本当なのでしょう。得をすることと損をすることでは正反対です。 農夫の息子はその立派な馬に乗った時に落馬して、足を骨折してしまいました。そこで人々はみな「運が悪いねえ」と言いました。ところが戦争が勃発し、力のある男たちはみんな徴兵されました。多くの男たちが戦場で戦い、死んで行きました。農夫の息子は足を骨折したために、戦争には行けませんでした。これは得したのでしょうか、損したのでしょうか。運がよかったのでしょうか。運が悪かったのでしょうか。そんなこと誰が決めるのでしょうか。 （中国の「人間万事塞翁が馬」に由来する） このような世道に出会う時、大事なことは動揺せずに冷静になることだと私が思います。今、幸せになっているからこの幸せはいつまでも続けるとは限りません。なぜなら、この幸せは無常とともなうもので、物事に頼らなければならなく、真の幸せではありません。 世道に出会う時、動揺せずに瞑想を通して心を落ち着かせることが一番効果的です。一時間だけの瞑想でだめだったたら、二時間。それでもだめだった三時間。このように行い続ければ間違いなくいつか心が安定になり、冷静に世道と対応できるようになるでしょう。さらに、静止になっている心こそが、真の幸せに近づくための第一歩です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>幸運があり、運が尽き、高位に上り、落ちぶれ、ほめられ、けなされ、楽あり、苦あり、とこの八つの世道は人が常に出会っています。自分だけが不幸ということはありません。だれでもこの世道に常に出会っています。でも大切なのはそれに対して自分の心がどのように対応するのかです。<span id="more-608"></span></p>
<p style="text-align: center;"><iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/E-Ac3s-IzIY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></p>
<p>昔あるところに、雌馬をなくした農夫がいました。雌馬がいなくなったとき、村人は「運が悪いねえ」と言いました。しかしその翌日、その雌馬が強くて立派な牡馬をつれて戻ってくると、村人は「運がいいねえ」と言いました。きのうは「運が悪い」と思ったのに、きょうは「運がいい」と思うのです。きのうは「損をした」と言ったのに、きょうは「得をした」と言うのです。どちらが本当なのでしょう。得をすることと損をすることでは正反対です。<br />
農夫の息子はその立派な馬に乗った時に落馬して、足を骨折してしまいました。そこで人々はみな「運が悪いねえ」と言いました。ところが戦争が勃発し、力のある男たちはみんな徴兵されました。多くの男たちが戦場で戦い、死んで行きました。農夫の息子は足を骨折したために、戦争には行けませんでした。これは得したのでしょうか、損したのでしょうか。運がよかったのでしょうか。運が悪かったのでしょうか。そんなこと誰が決めるのでしょうか。<br />
（中国の「人間万事塞翁が馬」に由来する）</p>
<p>このような世道に出会う時、大事なことは動揺せずに冷静になることだと私が思います。今、幸せになっているからこの幸せはいつまでも続けるとは限りません。なぜなら、この幸せは無常とともなうもので、物事に頼らなければならなく、真の幸せではありません。<br />
世道に出会う時、動揺せずに瞑想を通して心を落ち着かせることが一番効果的です。一時間だけの瞑想でだめだったたら、二時間。それでもだめだった三時間。このように行い続ければ間違いなくいつか心が安定になり、冷静に世道と対応できるようになるでしょう。さらに、静止になっている心こそが、真の幸せに近づくための第一歩です。</p>
]]></content:encoded>
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